・正しい生き方をしなきゃいけない
・器用な生き方をしなきゃいけない
・結婚して家族を作るのが正しい人生
・週5フルタイムで働くのが正しい人生
などなど…
どうもこの国では”正しいか否か、1か0か”の二元論で物事を語る人が多すぎだと思う。
例えば個人の生き方の話。
ひとの生き方を上手だとか下手だとかを勝手に決める権利は誰にもないはず。
生き方なんて他人がどう見るか、自分がどう感じるかで全然違う見方になるし悩み過ぎてもしゃーない。
あなたが上手く生きていると感じていても他人から見れば下手に映るかもしれないし、逆も然り。
自分で上手く生きていると思っていても、後々その生き方を後悔している可能性もある。
だからもう個人の生き方について論じるのは時間の無駄だと思いません?
生きる意味とか考えてもしゃーない
例えば「Xスポーツ」に人生を懸けている人は世界中にいる。
Xスポーツというのは危険で過激なスポーツ全般のことで、スカイダイビングやマウンテンボードなどがある。
雪山の急斜面をスノーボードで滑る人の映像とかに見覚えがあると思う。
正直Xスポーツの映像とかを見ても、関係ない僕らからすれば狂気の沙汰に思える。
「なんでこんなことするの?死ぬの?」
「スポーツで死んだら元も子もなくね?」
かつての僕はこんな感想を持っていた。
ぶっちゃけなんかもったいない生き方してね?と思ってた(笑)
(今振り返るととても失礼…)
でもよく考えれば、彼らにとっては人生を懸けるだけの魅力があるってこと。
そうじゃなきゃチャレンジする人はいないし熱狂的な注目を集めるはずがない。
彼らは自分の好きなことを夢中で追いかけてるだけだと理解したのは20代半ばの頃だった。
こんな感じで他人の生き方を考えても理解できる時が来るかもしれないし、死ぬまで理解できないかもしれない。
生き方の上手い下手なんか考えても答えは永遠に出ないし、時間と労力の無駄だ。
外野の意見なんか気にしないで、やりたいことをやって死んだほうが後悔しないし死後にちゃんと浮かばれる気がするな。
やらずに後悔よりやってから後悔というか。
これに気づいたあとは、他人と自分の生き方を比べて正しいとかどうとか考えるのをやめた。
確か25歳ぐらいの時、ちょうど1回目のニートをしてた頃。
たくさん時間があったから色々考えることが出来たんだろうなぁ。
他人と自分を比べて優越感に浸ればそのときは楽だし快感だけど、もし劣等感ばかり感じるようになったら?
他人と比べてばかりいると、いつまでも不幸を味わい続けるだけだなと僕は思う。
生き方の上手い下手にとらわれすぎて、自分が本来やりたいことを見失う。
これほど本末転倒なパターンはないね。
人生の価値観なんて個人の解釈次第
僕の理想の人生は「誰にも邪魔されず自由気ままな毎日を過ごしてみたい!」というもの。
隠居生活といえばいいのか。
けどその理想に無理に共感してもらおうとは思わない。
僕の生き様や価値観が世界で最も優れたライフスタイルだとは思ってないから。
人間関係が変化したり時間がたてばこの考えが変わるかもしれないし。
田舎に移住してのんびり過ごすのが幸せという人もいれば、都会の高層マンションに住んで豪遊するのが幸せ、という考えの人もいる。
地球には現在約70億人が住んでいるんだから、価値観にも70億通りの解釈があるはず。
人の価値観に正しいも間違っているもないし、あるのは人それぞれの捉え方だけだ。
自分が下手だと感じる生き方はしない
まぁでも自分が下手だと感じる生き方はしないようにしたい。
例えばあなたが堅実志向の人間だとして、金を貯めたいからギャンブルに走るのはおかしいですよね?
これは極端にしても「こういう生き方はしっくりこない」と感じたら、すぐに軌道修正したほうがいい。
無駄に頑張り過ぎてるなと感じたときもそう。
ここまでの内容をまとめると、
- 生き方が上手か下手か、正しいかどうか悩み過ぎてもしゃーない
- 「こういう生き方は下手だ・しっくりこない」と感じたら修正する
- 外野の意見なんか気にせず、自分がやりたいことをやる
- 人生の価値観の解釈は人の数だけある
結局生き方を考えるうえで大事なのは、
- 自分にとっての”しあわせ”を追求すること
- やりたくないことをしない
この2つに尽きるんじゃないかな?
自分のやりたくないことからちょっと離れてみる(僕ならフルタイム労働とかね)だけでも案外幸福度は上がっていくもんですよ。
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