今の社会がくだらないと愛想が尽きたら考えてほしいこと

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満員電車で都心まで長時間痛勤

台風でも大雪でも関係なく毎日出勤

インフルエンザに罹患している時も構わず出勤

打ち合わせの為の打ち合わせをして何かを産み出した気分になってる

出世争いや嫉妬といった人間関係で消耗する

定時後すぐに帰ろうとすると冷めた目でこちらを見てくる

未だにまかり通っている過重労働やサービス残業

互いに残業時間を自慢しあう謎の風習

土日祝の休みを接待ゴルフや休日出勤に充てる

とにかく会社の人間と絡むことや行事に参加することを強制する

日本社会の至る所で見られるくだらない行為の数々。他にもまだあるけど、キリがないのでこの辺にしておこう。

だいたいの人たちは、上記のような行為の数々に適応して生活している。

そして知らない間に社会に調教されて社畜と化し、結果的に大量のうつ病患者や自殺者が産み出されるという流れだ。

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今の社会に適応する価値って何?

突然ですがあなたに質問。

「今の社会に適応する価値って本当にあるでしょうか?」

もっというなら、

「毎年3万人を超す自殺者や大量のうつ病患者を生み出す社会に適応する価値ってなんですか?」

働いてるんだからしょうがねーだろ!

と感じる人もいるだろうし、それが一般的な意見なんだろうと思う。

理由は簡単で、学校や親から受けてきた教育がほとんどの日本人にとって常識だから。

常識に縛られるあまり、自分がやりたかったことを我慢して生きていくしかなくなった人が多いから。

大多数はそういう現状に適応して生きているから、そこに疑問を投げかけたところで?マークが帰ってくるのは仕方ないとは思う。

以前勤めていた会社の上司が僕につぶやいたひと言が非常に印象に残っている。

「この先仕事が楽になるなんてことないからな」

言われた瞬間、ずっとこの場所にいたら未来はないなと悟った。

くだらない社会に愛想が尽きた

そんなわけでくだらない社会に愛想が尽きたのが2017年頃、25歳の冬。

小さい頃からなんとなくそうだったけど、就職して働き始めてからは特に、社会や世間一般に対する疑問が尽きない日々を過ごしてきた。

いつからだろう、太陽が昇り朝を迎える時間が嫌になって気持ちよく目覚めることも出来なくなってしまったのは。

社会や組織に適応できない、なじめない自分をひしひし感じていた。

「毎日がクソつまらない」

「明日になったら嫌な現実がまた…」

「今日もまたあいつら(会社の人間)と話さなきゃいけないのか…」

「社会に適応できない」と言えば、やれ社会不適合者だ!やれ甘えるな!と批判を浴びがちだ。

だがそんな妄言を浴びせられたところで自分を卑下する必要は全くないし、無理して社会に適応するメリットなんてどこにもない。

そんな社会こそがくだらない、そんなスタンスでいい。

報連相なんてクソだ、そのくらいのスタンスでいい。

人手不足?ざまーみろ!というスタンスでいい。

この社会にいつまでもいられるほど暇じゃない

無理して低賃金長時間労働で働かされているぐらいなら、生活保護とか受給しながらのんびり暮らすほうがよほどマシだと本気で思う。

世間が変わっていくスピードに期待してると手遅れ

まぁ自分含めてあなたが社会に対してくだらないという感情を抱いているなら、早めにアクションを起こしたほうがいい。

世間が変わっていくスピードに期待してると手遅れ

世間が変わるより、自分が苦しんでダウンする方が圧倒的に早い。

がん治療だって早期発見できれば完治できる確率は高いけど、全身に転移してしまったらもう手遅れでしょう。

仕事だって同じで潮時だと感じたら、さっさと身を引かないといけない。

僕もこの事実に早く気づけてホントよかった。

今はもっと自分に適正がありそうな別の仕事に就いてなんとかやれている感じだ。(それでも時々モラトリアムな時期を設けないと疲れてやっていけないけど)

もし気づけなかったら、今頃僕はうつ病で会社を辞めて実家で一生引きこもっていただろう。

まぁ僕の友人は無理に適応しようとした挙句体を壊し、こういう末路をむかえてしまったんだけど…。

もう少し早くこの経験を伝えられればあるいは…。

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